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    <title>山形県鶴岡市羽黒町観光協会ブログ</title>
    <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/</link>
    <description>羽黒町観光協会のブログです。羽黒地域、出羽三山、山伏文化を紹介しています。</description>
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    <itunes:summary>羽黒町観光協会のブログです。羽黒地域、出羽三山、山伏文化を紹介しています。</itunes:summary>
    <itunes:keywords>出羽三山,山伏,羽黒,修験道,宿坊,月山,湯殿山,羽黒山，スキー,神,仏,旅行,観光協会</itunes:keywords>
    
    <itunes:author>hagurokanko</itunes:author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/51871063.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～月山頂上</title>
      <pubDate>Wed, 14 Dec 2011 13:57:50 +0900</pubDate>
      <description>古い写真を手に取ると、数十年前の景色が別世界のように感じられますが月山山頂はじつに清々しく、いつ登っても別世界を感じます。さて、古写真で辿る月山山頂にはどのような景色が広がっていたのでしょうか。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
古い写真を手に取ると、数十年前の景色が別世界のように感じられますが<br />月山山頂はじつに清々しく、いつ登っても別世界を感じます。<br /><br />さて、古写真で辿る月山山頂にはどのような景色が広がっていたのでしょうか。<br /><br /><a name="more"></a><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/41.E698ADE5928CE5889DE69C9FE381AEE69C88E5B1B1E9A082E4B88AE585A8E699AF0-72.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/41-thumbnail2.E698ADE5928CE5889DE69C9FE381AEE69C88E5B1B1E9A082E4B88AE585A8E699AF0-72.jpg" width="320" height="232" border="0" align="" alt="41.昭和初期の月山頂上全景0-72.jpg" /></a><br /><br />これは昭和10年頃の月山山頂全景です。<br />山頂には月山神社があり、御室（おむろ）と呼ばれていました。<br /><br />月読命（つきよみのみこと）が祀られ、農耕と五穀豊穣、航海、漁労の神として広く信仰を集めています。<br />明治までは阿弥陀如来が本地として祀られ、御室を囲む石垣には十三仏が祀られていました。<br />羽黒山から月山にいたる十三の小屋はこれに由来するといわれています。<br />さらに、庄内地域では亡くなった人びとの魂は低い山（ハヤマと呼ばれます）に三十三年いた後<br />月山のような高い山（ミヤマ）に鎮まると伝えられています。<br /><br />月山神社から石畳の参道を下りて右側にある平屋が、月山薬湯小屋。<br />手前のぬま小屋と屋根に石が並べられている建物が頂上小屋です。<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/42.E698ADE5928CE5889DE69C9FE381AEE9A082E4B88AE5B08FE5B18B38-2.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/42-thumbnail2.E698ADE5928CE5889DE69C9FE381AEE9A082E4B88AE5B08FE5B18B38-2.jpg" width="320" height="232" border="0" align="" alt="42.昭和初期の頂上小屋38-2.jpg" /></a><br /><br />これも同じ頃の月山山頂です。<br />手前に見えるのが頂上小屋で、中ほどにあるのが薬湯小屋です。<br />山頂の強風ゆえ小屋が低く造られているのがよくわかりますね。<br />奥には山頂の月山神社に向かう行者の姿があります。<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/43.E688A6E5898DE381AEE69C88E5B1B1E9A082E4B88AE585A8E699AF.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/43-thumbnail2.E688A6E5898DE381AEE69C88E5B1B1E9A082E4B88AE585A8E699AF.jpg" width="320" height="232" border="0" align="" alt="43.戦前の月山頂上全景.jpg" /></a><br /><br />これはさらに時代を遡って大正時代の月山山頂風景です。<br />山頂に月山神社、その右側に直務所のぬま小屋があり<br />そこから左下に参道が伸び、薬湯小屋の屋根が見えています。<br /><br />ここでも自然条件によって建築物の姿形が決められていますね。<br />強風に耐えるために石垣のつまれた山頂はお城のように見えます。<br />クローズアップした写真がこちら。<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/44.E688A6E5898DE381AEE69C88E5B1B1E7A59EE7A4BE1-9.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/44-thumbnail2.E688A6E5898DE381AEE69C88E5B1B1E7A59EE7A4BE1-9.jpg" width="320" height="232" border="0" align="" alt="44.戦前の月山神社1-9.jpg" /></a><br /><br />戦前の月山神社です。<br />基本的な建物の配置は現在とほとんど違いがありません。<br /><br />右側の一番手前にある小屋が祓い場。お参りの前にお祓いをする場所で<br />道者はここで草鞋を脱ぎ、本殿の前で素足になって参拝しました。<br /><br />祓い場の奥、藁がかけてあるぬま小屋は直務所といって、神社に奉職する方々が生活していた場所です。<br />そのさらに奥、屋根の先端が見える建物が、御本殿の御室です。<br /><br />画面の左奥にあるのは神札授与所。ここで五色の梵天やお守りを求めることができました。<br />ここで求めた梵天を左手前の屋根だけみえる御霊供養場にお供えしました。<br />供養場の右手前の建物は霊祭所です。<br /><br />中央には「官幣大社月山神社」の文字が見えます。<br />戦前、東北唯一の官幣大社が月山神社だったからですね。<br /><br /><br />月山山頂は建物の配置をほとんど変えず<br />ぬま小屋が木造の建物になって今日に続いています。<br /><br />一年のほとんどを雪で覆われている月山は<br />多いところで積雪20mにも達するほどです。<br /><br />しかしその雪は春の庄内平野を潤し<br />食の都庄内をつくりだした源でもあります。<br /><br />生命の源は、また魂の還りゆくところでもあり<br />8月13日に月山山頂で行われる月山柴燈祭では、<br />月山という山に宿る死生観を如実に感じることができます。<br /><br />生と死の循環は自然の姿そのものですが<br />まさに月山はその起点であり終点といえます。<br /><br />月山は、この山を遥かに仰ぐ人々とともに<br />広がる庄内を育んでいくことでしょう。<br />

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/51605001.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～九合目</title>
      <pubDate>Fri, 09 Dec 2011 14:42:14 +0900</pubDate>
      <description>月山九合目、仏生池小屋。写真は戦前の頃のもの。もちろんぬま小屋ではありませんが、小屋は今も経営されているます。”仏水池”の由来を尋ねてみると、江戸時代の文書の佛水池のくだりには”釈尊の生まれる日に八大竜王が下界の悪習をはらおうと聖なる水を湛えて清めた池＝仏生池”と、大意このように書かれています。また、九合目を営む工藤さんによれば、”仏生池は文字通り「仏の生まれる池」で、道者はここで死に水をのみ、魂となって頂上へ行き、月山神社にお参りして生命をもらい、それから（月山山頂にある）..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/39.E4BB8FE7949FE6B1A0E5B08FE5B18B26-1.jpg" width="480" height="349" border="0" align="" alt="39.仏生池小屋26-1.jpg" /><br /><br />月山九合目、仏生池小屋。<br />写真は戦前の頃のもの。もちろんぬま小屋ではありませんが、小屋は今も経営されているます。<br /><br />”仏水池”の由来を尋ねてみると、江戸時代の文書の佛水池のくだりには”釈尊の生まれる日に<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8B" target="_blank">八大竜王</a>が下界の悪習をはらおうと聖なる水を湛えて清めた池＝仏生池”と、大意このように書かれています。<br /><br />また、九合目を営む工藤さんによれば、”仏生池は文字通り「仏の生まれる池」で、道者はここで死に水をのみ、魂となって頂上へ行き、月山神社にお参りして生命をもらい、それから（月山山頂にある）神饌池で産湯をもらって生まれ変わる”のだそう。<br />池の中にはかつて阿弥陀如来が祀られており、現在、池のほとりに真名井神が祀られています。<br /><br />小屋の名物は雷豆腐。<br />聞き慣れない名前ですが、昭和9年より小屋を営んでいた矢島清源さんは、石臼で大豆を挽き、朝夕小屋名物の「雷豆腐」をつくり、赤飯を蒸したそうです。石臼のゴロゴロ...という音が、小屋近くまで来た道者には雷の音に聞こえたから名付けられた名前なんですね。<br /><br />現在の小屋主・工藤純平さんは、鶴岡市で<a href="http://trail-shop.com/default.aspx" target="_blank">トレイル</a>というアウトドアショップも営んでおられます。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/51546250.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～八合目</title>
      <pubDate>Thu, 08 Dec 2011 14:48:22 +0900</pubDate>
      <description>月山八合目、弥陀ヶ原小屋（みだがはらごや）。今は車で八合目までいく弥陀ヶ原ですが、かつて一合目から登っていった先に突如として広大な湿地が広がり高山植物の咲き乱れる様はさぞ感動的だったでしょう。夏には百数十種の花々で埋め尽くされる弥陀ヶ原は、明治以前に祀られていた月読命（つきよみのみこと）とその本地、阿弥陀如来（あみだにょらい）が祀られていました。それゆえ「弥陀ヶ原」といわれるとも、神様が御田植えをされたことから「御田ヶ原」ともいわれました。二つの呼称は明治の神仏分離以後も慣例..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
月山八合目、弥陀ヶ原小屋（みだがはらごや）。<br /><br />今は車で八合目までいく弥陀ヶ原ですが、<br />かつて一合目から登っていった先に突如として広大な湿地が広がり<br />高山植物の咲き乱れる様はさぞ感動的だったでしょう。<br /><br /><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/37.E5BEA1E794B0E58E9FE7A59EE7A4BEE381A8E5BEA1E794B0E383B6E58E9FE5B08FE5B18B1-5.jpg" width="480" height="349" border="0" align="" alt="37.御田原神社と御田ヶ原小屋1-5.jpg" /><br /><br />夏には百数十種の花々で埋め尽くされる弥陀ヶ原は、明治以前に祀られていた月読命（つきよみのみこと）とその本地、阿弥陀如来（あみだにょらい）が祀られていました。<br />それゆえ「弥陀ヶ原」といわれるとも、神様が御田植えをされたことから「御田ヶ原」ともいわれました。<br />二つの呼称は明治の神仏分離以後も慣例的に使われています。<br /><br />弥陀ヶ原小屋（写真右）は、現在の月山中の宮御田ヶ原参籠所がある場所に昭和56年まで建っていました。<br />かつては丑歳を境に手向の二軒の家が交代で小屋掛けをしていたそうです。<br />昭和25年から阿部貞治さんが掛けはじめ、30年から55年まで瀧水義道さんが小屋を守っていました。<br /><br />写真中央は御田ヶ原神社で、建物はかつて月山神社の御室で使われていたものだそうです。<br /><br />写真には映っていませんが、写真の左側には霊祭所があり現在大小いくつもの地蔵さまが祀られています。<br />これらの地蔵さまは、八合目手前にあった旧賽の河原の裏に頭部を下にして丁寧に埋められていたもので、昭和63年に掘り起こされこちらへ移されたものです。<br />今から23年前ですから、ついこの間のことですね。<br /><br />7月に鮮やかな黄色を咲き誇るニッコウキスゲは、ここで酢の物として食べられたそうです。<a name="more"></a>

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/51492615.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～七合目</title>
      <pubDate>Wed, 07 Dec 2011 16:33:44 +0900</pubDate>
      <description>七合目は合清水（ごうしみず）。江戸時代の文書には「業清水」とも書かれているこの小屋。名前の由来は二説あり、「人間の業を清水で洗い落とす」とする説と「登り下りの合い清水」といって、玄海口から月山を越え羽黒山に向かう行程と手向口から月山に向かう行程が、ちょうど落ち合う場所にあるためという説なのだそう。五、六合目と同じく井戸の神様が祀られた栄井神社があり合清水小屋は最上川水系と赤川水系の「分水嶺」に建っていました。栄井神社の近くには湧き水があり、「ハンド鉢」と呼ばれる自然石に流れて..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/28.E59088E6B885E6B0B4E5B08FE5B18BE585A8E699AF1-5.jpg" width="480" height="349" border="0" align="" alt="28.合清水小屋全景1-5.jpg" /><br /><br />七合目は合清水（ごうしみず）。<br /><br />江戸時代の文書には「業清水」とも書かれているこの小屋。<br />名前の由来は二説あり、「人間の業を清水で洗い落とす」とする説と<br />「登り下りの合い清水」といって、玄海口から月山を越え羽黒山に向かう行程と<br />手向口から月山に向かう行程が、ちょうど落ち合う場所にあるためという説なのだそう。<br /><br />五、六合目と同じく井戸の神様が祀られた栄井神社があり<br />合清水小屋は最上川水系と赤川水系の「分水嶺」に建っていました。<br /><br />栄井神社の近くには湧き水があり、「ハンド鉢」と呼ばれる自然石に流れていました。<br />道者はこれを飲み水にしたそうです。そしてあふれた水は風呂桶にためられ風呂水に。<br />そして便所の清掃に使われた後、玉川へ流れていきました。<br />玉川は立谷沢に流れ込み、最上川へ合流します。<br /><br />小屋の裏には大雪渓があり、その雪解け水は小屋のお勝手を経由して合清水沢に流れていきました。<br />合清水は笹川に流れ込んで、赤川に合流します。<br /><br />まさに「分水嶺」に建っていたわけですね。<br /><br />また合清水は「馬止め、駒止め」と呼ばれました。<br />小屋裏の大雪渓を馬が登れなかったからとも、馬方が日暮れ前に麓におりなければならなかったともいわれます。<br /><br />水も馬も分かれる場所が合清水だったんですね。<br /><br />小屋の名物は冷やしそうめんとあん餅。<br />ご飯やお汁、山菜のおひたし、そうめんのあんかけ、麩の入ったひじきの煮物、青昆布やフキの煮物が出されたそうです。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/51386909.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～六合目</title>
      <pubDate>Mon, 05 Dec 2011 15:04:42 +0900</pubDate>
      <description>月山は標高1,984m。ちょうど中腹の標高1,000mに月山六合目平清水小屋がありました。五合目強清水、六合目平清水、七合目合清水（ごうしみず）。「清水」のつくこれらの小屋名は、きれいな湧き水があることに由来しています。平清水は、月山一美味しい湧き水に恵まれていたそうです。小屋の西側にその湧き水はありました。きれいで美味しいことで知られ、昭和30年代の山開きの頃、保健所の人が飲料水を調べにきた際、平清水の湧き水は軟水で一番水質がよかったそうです。この水を手桶に入れて小屋の入り..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/23.E5B9B3E6B885E6B0B4E5B08FE5B18B-1.jpg" width="480" height="349" border="0" align="" alt="23.平清水小屋-1.jpg" /><br /><br />月山は標高1,984m。ちょうど中腹の標高1,000mに<br />月山六合目平清水小屋がありました。<br /><br />五合目強清水、六合目平清水、七合目合清水（ごうしみず）。<br />「清水」のつくこれらの小屋名は、きれいな湧き水があることに由来しています。<br /><br />平清水は、月山一美味しい湧き水に恵まれていたそうです。<br /><br />小屋の西側にその湧き水はありました。きれいで美味しいことで知られ、昭和30年代の山開きの頃、保健所の人が飲料水を調べにきた際、平清水の湧き水は軟水で一番水質がよかったそうです。<br />この水を手桶に入れて小屋の入り口に置くと、道者はひしゃくで喉を潤し、お盆に志をおいていったそう。<br /><br />小屋の名物は、この水を使った冷やしそうめん。<br />煮出しに鰹節は使えず、しょうがと醤油を少したらして食べたそうです。小屋の雰囲気ときれいな空気は、そうめんを特別なものにしました。麓と違ってぬま小屋でなければ出ない味だったそうです。夏のカラカラに乾いた喉を通る冷や冷やの水とそうめん...さぞ美味しかったことでしょう！<br /><br />ぬま小屋から山頂を目指す参道の登り口には津長井神社と庚申碑がありました。<br />祀られていた津長井の神も、強清水の生井の神、七合目の榮井の神と同じく井戸の神様です。<br />庚申碑には御神鏡のほかに「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の石像があり、の神とされた猿田彦尊ともいわれていました。今も旧道に現存する三猿に手を合わせる方はいます。<br /><br /><br />平清水はまた「馬返し」の別名がありました。<br />一つ上の七合目合清水小屋は「馬止め、駒止め」と呼ばれ、馬でいける行程の最後。<br />日が長くなる旧盆を過ぎると、終着が合清水から平清水に変更されたため「馬返し」と呼ばれたそうです。<br /><br /><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/26.E698ADE5928CE4B889E58D81E59B9BE5B9B4E38081E5B9B3E6B885E6B0B4E5B08FE5B18B36-2.jpg" width="480" height="349" border="0" align="" alt="26.昭和三十四年、平清水小屋36-2.jpg" /><br /><br />平清水小屋は、戦前から羽黒町手向の農家清水喜代太郎さんが営んでいました。<br />太平洋戦争中も営業を続けたのはここだけだったそうです。<br /><br />東北の山小屋は、一年のほとんどが雪で閉ざされています。<br />かつて月山の山開きは7月15日。小屋の営業は正味一ヶ月の間でした。<br /><br />七月半ばの花祭りを迎えると、少しづつ道者は少しづつ登ってきました。<br />出羽三山を登拝する県内外の道者たちは泊まる小屋が決まっており、平清水に泊まる道者は新潟の人が多かったそうです。<br />盆山といって、旧盆には一晩に百二十人も泊まりました。それが二日、三日続けば大忙しです。<br />しかし利用者が多い時代は、これで一年暮らすことができたといいます。<br /><br />経営は容易ではありませんでした。<br /><br />ぬま小屋は衣食住に必要な物資の調達しなければなりません。<br />一番の出費は、物資を運び上げる強力や小屋を組み立てる人たちへの支払いでした。<br />小屋のの支柱となる原木は裏山から伐採され、生活に必要な木は、参道の両側三十間（ここは出羽三山神社境内）に限り許可されていたため、ここから調達されました。小屋を建てるのは4～5人の人に依頼しても10日以上かかったそうです。<br /><br />短い夏が終わると、小屋の下に掘ってあった1m×1mの穴に鍋釜、食器、ぬまを取り込み、来年を待ちました。<a name="more"></a>

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/51372583.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～五合目</title>
      <pubDate>Sun, 04 Dec 2011 16:56:24 +0900</pubDate>
      <description>月山五合目には昭和36年まで狩籠小屋が掛けられていました。小屋の周辺には大木や池や石があり、様々な歴史に彩られています。小屋は大きな杉の下にありました。この杉はその異様な形からご神木とも、これより上に杉がないことから限界杉ともよばれました。その昔、月山登拝注になくなった道者や行者はこの大杉の裏に埋葬されたといいます。根元には新山神社があり、その手前には蛇枕石と呼ばれる平な石がありました（今も残っています）。18世紀はじめの文書である『三山雅集』によると、かつては鉾立新山大権現..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/19.E78BA9E7AFAD17-9.jpg" width="349" height="480" border="0" align="" alt="19.狩篭17-9.jpg" /><br /><br />月山五合目には昭和36年まで狩籠小屋が掛けられていました。<br /><br />小屋の周辺には大木や池や石があり、様々な歴史に彩られています。<br /><br />小屋は大きな杉の下にありました。<br />この杉はその異様な形からご神木とも、これより上に杉がないことから限界杉ともよばれました。<br />その昔、月山登拝注になくなった道者や行者はこの大杉の裏に埋葬されたといいます。<br /><br />根元には新山神社があり、その手前には蛇枕石と呼ばれる平な石がありました（今も残っています）。<br />18世紀はじめの文書である『三山雅集』によると、かつては鉾立新山大権現が守護したところだそうですね。<br /><br />小屋の東側には龍神さまが住むという神秘の龍ヶ池（狩籠池、新山池とも）とよばれる崖があり、ここから滴り落ちる水を水樽に入れて運び、小屋の飲み水としたそうです。この場所からは庄内平野に浮かぶ鳥海山が展望できました。<br /><br />西側には広大なブナ林があり、夏にはワケ（ヒラタケのこと。春はウグイスタケともいう）が採れ、汁に入れて道者に出されました。<br />小屋名物は赤飯ときのこ汁。小屋の近くで採れる青物のある場所は「小屋の畑」と呼ばれ大切にされたそうです。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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        <item>
      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/51371496.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～四合目</title>
      <pubDate>Sun, 04 Dec 2011 15:27:21 +0900</pubDate>
      <description>四合目には強清水小屋がありました。二合目の大満から先は木立三里と呼ばれるほど、参道回りがうっそうとしたブナ林になります。夏には蒸し暑さが充満するような大満原、ブナに覆われた神子石から強清水へ続く道。強清水はこの道程にあって、月山一冷たい湧き水（地元ではデミズという）のある小屋として有名でした。道者はここで乾いた喉を潤し、一息ついたんですね。五合目の狩籠までいけば、尾根に通じる参道は潅木になり視界が開けてきます。まだ夜が明けきらないころ宿坊を出立し、道者たちは涼しいうちに大満か..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/18.E5BCB7E6B885E6B0B4E5B08FE5B18B9-3.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/18-thumbnail2.E5BCB7E6B885E6B0B4E5B08FE5B18B9-3.jpg" width="480" height="343" border="0" align="" alt="18.強清水小屋9-3.jpg" /></a><br /><br />四合目には強清水小屋がありました。<br /><br />二合目の大満から先は<a href="http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/45938235.html" target="_blank">木立三里</a>と呼ばれるほど、参道回りがうっそうとしたブナ林になります。<br /><br />夏には蒸し暑さが充満するような大満原、ブナに覆われた神子石から強清水へ続く道。<br />強清水はこの道程にあって、月山一冷たい湧き水（地元ではデミズという）のある小屋として有名でした。<br />道者はここで乾いた喉を潤し、一息ついたんですね。<br /><br />五合目の狩籠までいけば、尾根に通じる参道は潅木になり視界が開けてきます。<br />まだ夜が明けきらないころ宿坊を出立し、道者たちは涼しいうちに大満から強清水を通りすぎていきました。<br /><br />小屋の向かいの山肌のくぼみには、生井神（いくいのかみ＝井戸水の神様）が祀られていました。<br /><br />冒頭の写真はおそらく昭和20年代の強清水小屋。<br />大正時代から小屋を営んだのは、羽黒町手向の富樫友太郎さんという方ですが<br />戦前には、手向で鍛冶屋を営んでいた生田鉄太郎さんが小屋掛けの権利を譲り受けたそうです。<br /><br />強清水小屋は、冷たい湧き水に恵まれ、周りのブナ林でお汁に入れる青物が豊富に採れました。<br />とても恵まれた条件の小屋でしたが、戦後バス道路が延びるにつれ、道者は強清水で休む必要がなくなり、小屋も廃業せざるをえなかったと思われます。<br /><br />ここの名物は冷たい湧き水を使った冷やしそうめんでした。<br /><br />平成16年八月いでは文化記念館の企画で小屋跡が整備、清掃されて小屋の礎石や祠があらわになりました。<br /><a name="more"></a>

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/46856087.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～三合目</title>
      <pubDate>Wed, 20 Jul 2011 16:57:37 +0900</pubDate>
      <description>大満を越えると、月山三合目の神子石（みこいし）です。ここには神子石神社と神子石小屋が掛けられていました。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/15.E7A59EE5AD90E79FB3E5B08FE5B18B9-4.jpg" width="480" height="343" border="0" align="" alt="15.神子石小屋9-4.jpg" /><br /><br /><a href="http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/46730515.html" target="_blank">大満</a>を越えると、月山三合目の神子石（みこいし）です。<br /><br />ここには神子石神社と神子石小屋が掛けられていました。<br /><a name="more"></a>上の写真に写るのは、昭和初期の神子石小屋です。<br />この小屋はそれまで50年あまりのお休みを経て<br />大正11・12年頃から昭和25年まで、30年弱のあいだ掛けられていました。<br /><br />最後の小屋掛けをしていたのが、羽黒町手向の小林吉五郎さん。<br /><br /><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/16.E7A59EE5AD90E79FB3E7A59EE7A4BE9-5.jpg" width="343" height="480" border="0" align="" alt="16.神子石神社9-5.jpg" /><br /><br />この写真は大正期の貴重な写真で、小林さんのご家族が映っています。<br />正面に座っているのが吉五郎さんの父吉治郎さん。<br />左が次男吉蔵さん、右側は飽海から来た親類の小屋若勢で、専属の強力さんでした。<br /><br />そして、後ろの紙垂（しで）のある場所に石の祠があり<br />この石こそ、小屋名の由来となった石、神子石でした。<br /><br />二合目の大満は、聖俗を分ける境界。そこから先は女人禁制の地でした。<br />その昔、ある巫女が結界を破って大満を越えたとたん、たちまち石になってしまい<br />これを巫女石、神子石と呼ぶようになった。これが由来の一つ。<br /><br />別には、開山能除太子が月山を登る道すがら、魔性の女人あらわれ妨げようとしたが<br />太子が加持によって降伏した。これにより皇子石という、とも。<br />祠石の奥には神子石神社があります。<br /><br />小屋には多いときで150人もの道者が宿泊。<br />その多くは宿坊からもってきたお握りを食べ、小屋で汁を求めました。<br /><br />汁には、近くの沢で取れるフキやアオミズがふんだんに使われ<br />夏の盛りでもチチタケ、ワケ、トビタケなどのキノコも採れたため調理して出していたとか。<br />二合目から上はブナ林が多くなるのですが、ブナ林ならではの料理だったんですね。<br /><br />二合目は団扇餅でしたが、三合目名物は味噌餅。<br />この頃は味噌も豆腐も小屋の自家製でした。<br /><br /><br />

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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        <item>
      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/46730515.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～二合目</title>
      <pubDate>Wed, 13 Jul 2011 17:21:39 +0900</pubDate>
      <description>海道坂からしばらく月山公園線（月山高原ライン）を進むと、左手に大満というバス停があります。ここが月山二合目の大満（だいまん）。写真の奥にみえるのが大満小屋、左に見えるのは小月山（おづきやま）神社です。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/E5A4A7E6BA80E5B08FE5B18B.jpg" width="480" height="354" border="0" align="" alt="大満小屋.jpg" /><br /><br />海道坂からしばらく月山公園線（月山高原ライン）を進むと、左手に大満というバス停があります。<br />ここが月山二合目の大満（だいまん）。<br /><br />写真の奥にみえるのが大満小屋、左に見えるのは小月山（おづきやま）神社です。<a name="more"></a>小屋を掛けていたのは、手向のトサクド（戸作殿という屋号）、岡部さん。<br />少なくとも明治以前から小屋を掛けていたといいます。<br /><br />写真をみてお分かりになるでしょうか？<br />他の小屋と異なり、ここは製材をつかった木造小屋。しかも常設されていました。<br />夏の道者と秋の峰中（秋の峰と呼ばれる修行のこと）のほか<br />春のさか迎えのときにも泊まり小屋として使われていたのです。<br /><br />大満は、「月山の一の木戸」」と呼ばれ、<br />俗世界と聖なる世界との境界という意味をもった場所でした。<br /><br />それをあらわしていたのが、昭和三十二年まであった入り口の鳥居。<br />ここから湯殿山の仙人沢までは「女人禁制」となっていました。 <br /><br />周囲の自然をみても、月山の麓から大満までは杉林が多いのに、ここから先はブナ林が多くなります。<br />ブナ林ではアオミズやフキ、キノコが採れました。ブナを使ってさかんに炭焼きも行われたそうです。 <br /><br />ここの名物は、うちわの形をしたうちわ餅。<br />つきたての餅を直径五センチほどの丸い形に伸ばして串に刺し、砂糖入りの味噌をつけて焼いたものです。この形のほか、涼しい気分で食べるためについた名前なんだそう。<br /><br />さて、大満の名前の由来を紐解けば。<br /><br />小月山神社の場所には神仏分離になる明治以前、虚空蔵堂（こくぞうどう）があり、<br />大満虚空蔵菩薩（だいまんこくぞうぼさつ）がまつられていました。<br />大いに満つる虚空蔵さまということで、智慧や福徳を限りなく持ち合わせている菩薩がまつられていたのです。<br />名前の由来はここから来ているんですね。<br /><br />その時代は、月山神社の本殿に十三仏がまつられ、虚空蔵菩薩は十三仏の中でも最高位におかれていました。<br />最高位におかれた菩薩なのに、頂上近くではなく二合目にまつられているのは、<br />立谷沢にある虚空蔵岳にちなんでまつられたのではといわれています。<br /><br /><iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&amp;msid=207315732073436962685.00047421933cfb947647b&amp;brcurrent=3,0x5f8c752ece99152b:0xc6ea0016956290d7,0&amp;ie=UTF8&amp;ll=38.565106,140.002662&amp;spn=0.346897,0.334067&amp;iwloc=0004a802ade47dcef80dc&amp;output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&amp;msid=207315732073436962685.00047421933cfb947647b&amp;brcurrent=3,0x5f8c752ece99152b:0xc6ea0016956290d7,0&amp;ie=UTF8&amp;ll=38.565106,140.002662&amp;spn=0.346897,0.334067&amp;iwloc=0004a802ade47dcef80dc&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">羽黒町観光協会マップ</a> を表示</small><br /><br /><br />昭和三十三年からは、山小屋ではなく、茶屋として経営が続きました。<br />月山神社本宮が平成六年に建て替えされ、それまで茅葺屋根だった小月山神社は<br />平成七年に月山本宮の古い社が移築されました。最近まで茅葺屋根だったんですね。<br /><br />翌年、大満の上にバス停ができることになりました。<br />鳥居はその年の秋に取り外され、何百年続いた大満小屋は廃業に。<br />小屋跡は今バス停になっています。<br /><br /><br />続きまして、三合目に向かいます（成瀬）

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/45938235.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道～一合目</title>
      <pubDate>Sun, 12 Jun 2011 16:21:42 +0900</pubDate>
      <description>先日からご紹介している「古写真で辿る、羽黒山から月山への道」シリーズ。前回は、羽黒山奥の院・荒澤寺の先にある野口から傘骨（半合目）でした。今回はいよいよ一合目、海道坂です。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
先日からご紹介している「古写真で辿る、羽黒山から月山への道」シリーズ。<br /><br /><a href="http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/45846923.html" target="_blank">前回は、羽黒山奥の院・荒澤寺の先にある野口から傘骨（半合目）でした。</a><br />今回はいよいよ一合目、海道坂です。<br /><br /><a name="more"></a><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/12.E6B5B7E98193E59D82E5B08FE5B18B0-58.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/12-thumbnail2.E6B5B7E98193E59D82E5B08FE5B18B0-58.jpg" width="320" height="215" border="0" align="" alt="12.海道坂小屋0-58.jpg" /></a><br /><br />野口から海道坂までの道は、松林やブナ林の中を歩くので<br />「木立三里（こだちさんり）」と呼ばれていました。<br /><br />海道坂（かいどうざか）は見晴らしの良い小高い山の上にあって、<br />西側に叶宮（かのみや）の鎮守の森が眼下に見え<br />東の方角からは、立谷沢の全景をみることができたといいます。<br /><br />大きな赤松があって、その隣に掛かっていたのが海道坂小屋です。<br />ここの小屋は羽黒町手向下長屋の鈴木さんが掛けていましたが<br />すでに戦後には掛けていなかった（廃業した）のだそうです。<br />小屋の名物は、力餅でした。<br /><br />ここに秋の峰入りの拝所である駒皇子の石碑がありました。<br />そしてここから、月山、すなわち死んだ魂が宿る、阿弥陀の世界へ入っていくことになります。<br /><br />次回は二合目、大満です。

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/45900406.html</link>
      <title>松ヶ岡開墾場とシルクタウンプロジェクト</title>
      <pubDate>Sat, 11 Jun 2011 09:54:17 +0900</pubDate>
      <description>6月10日、松ヶ岡開墾場へ行ってきました。松ヶ岡は明治維新の際、庄内藩の武士三千余人が刀や槍を鋤（くわ）鍬（すき）に代え、荒地を開拓し、その地で桑（くわ）を栽培し、お蚕さんを育て、繭から絹糸を取って養蚕で産業を興した地。なるほど、フロンティアスピリッツがあふれる土地なんですね。なんと、蚕から絹織りまで、一つの地域にあるのは日本国内でも鶴岡だけ！なのです。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0090-1.JPG" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0090-1-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_0090-1.JPG" /><br /></a>6月10日、<a href="http://matsugaoka.info/" target="_blank">松ヶ岡開墾場</a>へ行ってきました。<br /><br />松ヶ岡は明治維新の際、庄内藩の武士三千余人が刀や槍を鋤（くわ）鍬（すき）に代え、<br />荒地を開拓し、その地で桑（くわ）を栽培し、お蚕さんを育て、繭から絹糸を取って養蚕で産業を興した地。<br />なるほど、フロンティアスピリッツがあふれる土地なんですね。<br /><br />なんと、蚕から絹織りまで、一つの地域にあるのは日本国内でも鶴岡だけ！なのです。<br /><a name="more"></a><br />松ヶ岡開墾場が場内の土蔵でお蚕さんを飼育し始めたのは、今年から。<br />鶴岡市がシルクタウン・プロジェクト（絹プロ）を立ち上げサポートを開始し<br />今日は、開墾場の土蔵で育ったお蚕さんを、市内の保育園などに渡しする日でした。<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0104-1.JPG" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0104-1-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_0104-1.JPG" /></a><br /><br />これがその土蔵です。<br />６月はもくもくと桑の葉を食べるお蚕さんに会うことができますよ。<br />松ヶ岡にお寄りの際はちょっと覗いてみてください！<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0099-3.JPG" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0099-3-thumbnail2.JPG" width="320" height="240" border="0" align="" alt="IMG_0099-3.JPG" /></a><br /><br />こちらがお蚕さん。桑の葉と一緒に。<br />苦手な方は苦手かもしれませんね...<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0097-1.JPG" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/IMG_0097-1-thumbnail2.JPG" width="240" height="320" border="0" align="" alt="IMG_0097-1.JPG" /></a><br /><br />そしてこれがお蚕さんの家。何となくモダンな仕上がりです。<br /><br />この小さな幼虫から繭がつくられ、絹になっていくんですね。<br /><br />飼育の注意事項など熱心に聞いていた参加者のみなさんも<br />わくわくしている様子でした。生長が楽しみです。<br /><br /><br />

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            <category>イベント</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/45846923.html</link>
      <title>古写真でたどる、羽黒山から月山への道（半合目）</title>
      <pubDate>Fri, 10 Jun 2011 09:00:00 +0900</pubDate>
      <description>月山開山まで30日となりました。いよいよ夏到来ですね。羽黒山の登山口から月山山頂へ続く道は古く木立三里、草原三里、石原三里の道とよばれいくつもの掛小屋（かけごや）がたっていました。いでは文化記念館には昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。これを拝借して、かつての月山への道のりを再現してみましょう。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br />月山開山まで30日となりました。<br />いよいよ夏到来ですね。<br /><br />羽黒山の登山口から月山山頂へ続く道は<br />古く木立三里、草原三里、石原三里の道とよばれ<br />いくつもの掛小屋（かけごや）がたっていました。<br /><br />いでは文化記念館には昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。<br />これを拝借して、かつての月山への道のりを再現してみましょう。<br /><br /><a name="more"></a>まずは羽黒山の奥の院、荒澤寺を越えると野口（のぐち）という場所があります。<br /><br />ここがいわゆる羽黒山口。スタート地点ですね。<br />野口の古写真は手元にないので...次に進みましょう。<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/10.E58298E9AAA86-2.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/10-thumbnail2.E58298E9AAA86-2.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="10.傘骨6-2.jpg" /></a><br /><br />これが半合目、傘骨（からかさぼね）。<br />一の木戸と呼ばれていました。<br />（木戸とは江戸時代、町の境界や要所につくられた門のこと）<br /><br />小屋名の由来は、この近くに傘に似た大きな松があったことによるとか<br />俳聖松尾芭蕉が月山登山のとき、傘をさしてきて<br />そのとき突風で傘が壊れ、骨だけになったからなど諸説あります。<br /><br />小屋の名物は冷たい湧水を使った「そうめん、ところ天」だったそうです。<br /><br />さて次は、ようやく一合目に到着です。<br /><br />（成瀬）<br /><br />

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/45831918.html</link>
      <title>夏の仕度</title>
      <pubDate>Thu, 09 Jun 2011 10:01:57 +0900</pubDate>
      <description>六月に入って、羽黒山麓の手向（とうげ）宿坊街はいよいよ夏の準備をはじめます。写真は月山本宮のテントを干しているところ。夏の訪れを感じます。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/2011-06-092009.31.28.jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/2011-06-092009-thumbnail2.31.28.jpg" width="320" height="240" border="0" align="" alt="2011-06-09 09.31.28.jpg" /></a><br /><br />六月に入って、羽黒山麓の手向（とうげ）宿坊街は<br />いよいよ夏の準備をはじめます。<br /><br />写真は月山本宮のテントを干しているところ。<br />夏の訪れを感じます。<br /><br /><a name="more"></a>一年ぶりに陽を浴びる白い生地はまぶしいほど<br />暑くなりそうな日差しをさらにつよく照り返していました。<br /><br /><a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/2011-06-092009.14.3020(1).jpg" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/2011-06-092009-thumbnail2.14.3020(1).jpg" width="320" height="426" border="0" align="" alt="2011-06-09 09.14.30 (1).jpg" /></a><br /><br />宿坊の垣根の手入れや草刈は、<br />多く地域の方々に声がけがあって行われます。<br />だからきっと、田植えの終わったこの時期なんでしょうね。<br /><br />農作業があって、周りもきれいになって<br />夏を迎える羽黒町でした。<br /><br />（成瀬）

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <title>羽黒山の五重塔</title>
      <pubDate>Sat, 04 Jun 2011 18:34:57 +0900</pubDate>
      <description>今日は落ち着かない天気で、今にも雨の降りそうな空でした。田植えも終わった羽黒では、長くなった夕刻にカエルの声が鳴り響いています。日が長くなると、夕方の羽黒山を訪れる人もお見かけします。ご存じですか？その時間の五重塔へ行くと、自分の影は自分の前方に向かって伸びるんです。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<a href="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/fivepagoda.JPG" target="_blank"><img src="http://haguro.sakura.ne.jp/sblo_files/hagurokankoblog/image/fivepagoda-thumbnail2.JPG" width="250" height="320" border="0" align="" alt="fivepagoda.JPG" /></a><br />今日は落ち着かない天気で、今にも雨の降りそうな空でした。<br />田植えも終わった羽黒では、長くなった夕刻にカエルの声が鳴り響いています。<br /><br />日が長くなると、夕方の羽黒山を訪れる人もお見かけします。<br />ご存じですか？その時間の五重塔へ行くと、自分の影は自分の前方に向かって伸びるんです。<br /><br /><a name="more"></a>夕暮れの五重塔の正面に立つと、目の前には自分の影が伸びている。<br />つまり、五重塔が、東に向かって拝むように建てられているってことですよね。<br />太陽の昇る方角を拝むように、建てられているんです。<br /><br />ではなぜ、東に向かって拝むように五重塔は建てられているのでしょう。<br /><br />東という方角は、何を意味しているのでしょう。<br /><br />その疑問をとくために、歴史を紐解いてみると。<br />羽黒山の古い縁起に、羽黒山が開かれたときの出来事として<br />次のようなくだりがあります。<br /><br /><blockquote>（後に蜂子皇子と呼ばれる）能除太子（のうじょたいし）は、<br />酒田の湊に夜ごと光を放つ浮木で、軍荼利明王（くんだりみょうおう）と<br />妙見菩薩（みょうけんぼさつ）を刻み、本尊の脇士にし、羽黒三所大権現として伽藍に祀った。<br /></blockquote><br />能除太子は、羽黒山を開いたお方です。<br />諸国行脚の旅のあと大きな三本足の烏に導かれて、<br />この山にたどりつき、観音様と出会い、ここを修行の地としたのでした。<br /><br />この観音様が羽黒山の本尊仏、聖観音（しょうかんのん）で<br />軍荼利明王、妙見菩薩と合わせて羽黒三所大権現といわれます。<br />その祀られた「伽藍」が、この羽黒山の五重塔でした。<br /><br />そして羽黒修験の口伝によると<br />聖観音は太陽、脇士の妙見菩薩は北極星、軍荼利明王は南十字星とされています。<br />なお、東十字星とはかつて南斗六星をいったそうです。<br /><br />つまり、五重塔には、南斗六星（南）、太陽（東）、北極星（北）という<br />宇宙の構造そのものが、仏様として配置されていたことになります。<br /><br />聖観音が祀られていたからこそ、五重塔は、東の方角と関係しているのですね。<br /><br />そして五重塔から東の方向に進むと、羽黒山頂にいたります。<br /><br />三本足の大烏は、太陽のシンボルですが<br />山頂へと続く羽黒参詣道は、東へ向かう道、太陽の道なのかもしれません。<br /><br />(成瀬)<br /><br />参考：内藤正敏「羽黒山・開山伝承の宇宙観」『千年の修験』所収（2005）

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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      <link>http://hagurokankoblog.sblo.jp/article/45678748.html</link>
      <title>再び月山・新八方八口プロジェクト</title>
      <pubDate>Thu, 02 Jun 2011 17:56:07 +0900</pubDate>
      <description>去る5月27日、同実行委員会事務局会議が開かれ出席してまいりました。今回の会議では、それぞれの登拝口が、その土地ならではの旅のプランを作成し、意見を交換しました。それはぜひ登ってみたい！という、粒ぞろいの旅が姿を現してきました。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
去る5月27日、同実行委員会事務局会議が開かれ出席してまいりました。<br /><br />今回の会議では、それぞれの登拝口が、<br />その土地ならではの旅のプランを作成し、意見を交換しました。<br />それはぜひ登ってみたい！という、粒ぞろいの旅が姿を現してきました。<br /><br /><a name="more"></a>そこで誰いうともなく共有されていたのは、<br />「歩くこと」をもう一度考えてみよう、という思いだった気がします。<br /><br />もちろん、この会議がめざしているのは<br />八つの登山口に車道をひいてラクに登山しよう！<br />ではありませんから、歩きに重きを置くのは、当然といえば当然です。<br /><br />しかしそれは、「じっくり旅をしよう」というメッセージでもあるはず。<br /><br />つまり、ピンポイントに観光地を巡回するのではなく、<br />歩くことで五感に働きかけてくる自然と、対話をしながら時間を過ごそうという提案です。<br /><br />ところで近年、羽黒山の石段参詣道を登る若い女性の方が増えています。<br />頂上まで車でも行けるのに、2446段の石段を一歩一歩登っていかれるのです。<br />初めての方には大変なはず...でも登るのは、大変さをこえた理由があるからです。<br /><br />現在、月山八合目まで車道が敷かれたお陰で<br />弥陀ヶ原湿原を短時間で楽しむ旅が人気です。そうした旅も大切です。<br /><br />しかし、こうしたプロジェクトが立ち上がってくる背景には<br />また別の旅の魅力を、地域の方々が感じているからに違いありません。<br />その魅力を感じてもらうためには、きっと「じっくり歩く」しか方法がないんです。<br /><br />見えなくなったものを見るためには<br />スローにするか、視点を変えるか、どちらかなのですから。<br /><br />月山は、生きとし生ける数多のいのちが生まれ、育まれる山であり<br />肉体を離れた魂がやがて集う山でもあります。<br /><br />六根清浄を唱え登拝した、かつての行者さんたちは<br />月山といういのちの循環のなかを歩くことが、<br />自分の心身を清らかにしてゆく、と考えていたようです。<br /><br />それは、山で自然の息吹を感じ、清々しさを覚えることと<br />本質的には同じことだと思います。<br /><br />現代の「ツアー」の底の方にも、巡礼の旅の記憶が流れ続けている。<br />昨今のパワースポットブームは、その事実をあらためて示しているように思えます。<br /><br />土地と人の結びつきの原点であったり、祈られた場所の記憶であったり<br />神仏や精霊の声に耳を傾ける旅のありかたを。<br /><br />それが巡礼という旅のかたちなのかもしれません。<br /><br /><br />そんな思いに至った会議でしたが、<br />羽黒町観光協会は二つのプランをつくりました。<br /><br />一つは、月山本宮でお盆の夜にひらかれる、月山柴燈祭を旅するプラン。<br />もう一つは、月山六合目から旧参道を登り、月山九合目に宿泊するプラン。<br /><br />どちらも、ここでしか体験できない旅になりそうです。<br />どうぞお楽しみに！<br /><br />（成瀬）<br />

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            <category>出羽三山</category>
      <author>hagurokanko</author>
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