月山山頂はじつに清々しく、いつ登っても別世界を感じます。
さて、古写真で辿る月山山頂にはどのような景色が広がっていたのでしょうか。

これは昭和10年頃の月山山頂全景です。
山頂には月山神社があり、御室(おむろ)と呼ばれていました。
月読命(つきよみのみこと)が祀られ、農耕と五穀豊穣、航海、漁労の神として広く信仰を集めています。
明治までは阿弥陀如来が本地として祀られ、御室を囲む石垣には十三仏が祀られていました。
羽黒山から月山にいたる十三の小屋はこれに由来するといわれています。
さらに、庄内地域では亡くなった人びとの魂は低い山(ハヤマと呼ばれます)に三十三年いた後
月山のような高い山(ミヤマ)に鎮まると伝えられています。
月山神社から石畳の参道を下りて右側にある平屋が、月山薬湯小屋。
手前のぬま小屋と屋根に石が並べられている建物が頂上小屋です。

これも同じ頃の月山山頂です。
手前に見えるのが頂上小屋で、中ほどにあるのが薬湯小屋です。
山頂の強風ゆえ小屋が低く造られているのがよくわかりますね。
奥には山頂の月山神社に向かう行者の姿があります。

これはさらに時代を遡って大正時代の月山山頂風景です。
山頂に月山神社、その右側に直務所のぬま小屋があり
そこから左下に参道が伸び、薬湯小屋の屋根が見えています。
ここでも自然条件によって建築物の姿形が決められていますね。
強風に耐えるために石垣のつまれた山頂はお城のように見えます。
クローズアップした写真がこちら。

戦前の月山神社です。
基本的な建物の配置は現在とほとんど違いがありません。
右側の一番手前にある小屋が祓い場。お参りの前にお祓いをする場所で
道者はここで草鞋を脱ぎ、本殿の前で素足になって参拝しました。
祓い場の奥、藁がかけてあるぬま小屋は直務所といって、神社に奉職する方々が生活していた場所です。
そのさらに奥、屋根の先端が見える建物が、御本殿の御室です。
画面の左奥にあるのは神札授与所。ここで五色の梵天やお守りを求めることができました。
ここで求めた梵天を左手前の屋根だけみえる御霊供養場にお供えしました。
供養場の右手前の建物は霊祭所です。
中央には「官幣大社月山神社」の文字が見えます。
戦前、東北唯一の官幣大社が月山神社だったからですね。
月山山頂は建物の配置をほとんど変えず
ぬま小屋が木造の建物になって今日に続いています。
一年のほとんどを雪で覆われている月山は
多いところで積雪20mにも達するほどです。
しかしその雪は春の庄内平野を潤し
食の都庄内をつくりだした源でもあります。
生命の源は、また魂の還りゆくところでもあり
8月13日に月山山頂で行われる月山柴燈祭では、
月山という山に宿る死生観を如実に感じることができます。
生と死の循環は自然の姿そのものですが
まさに月山はその起点であり終点といえます。
月山は、この山を遥かに仰ぐ人々とともに
広がる庄内を育んでいくことでしょう。