
七合目は合清水(ごうしみず)。
江戸時代の文書には「業清水」とも書かれているこの小屋。
名前の由来は二説あり、「人間の業を清水で洗い落とす」とする説と
「登り下りの合い清水」といって、玄海口から月山を越え羽黒山に向かう行程と
手向口から月山に向かう行程が、ちょうど落ち合う場所にあるためという説なのだそう。
五、六合目と同じく井戸の神様が祀られた栄井神社があり
合清水小屋は最上川水系と赤川水系の「分水嶺」に建っていました。
栄井神社の近くには湧き水があり、「ハンド鉢」と呼ばれる自然石に流れていました。
道者はこれを飲み水にしたそうです。そしてあふれた水は風呂桶にためられ風呂水に。
そして便所の清掃に使われた後、玉川へ流れていきました。
玉川は立谷沢に流れ込み、最上川へ合流します。
小屋の裏には大雪渓があり、その雪解け水は小屋のお勝手を経由して合清水沢に流れていきました。
合清水は笹川に流れ込んで、赤川に合流します。
まさに「分水嶺」に建っていたわけですね。
また合清水は「馬止め、駒止め」と呼ばれました。
小屋裏の大雪渓を馬が登れなかったからとも、馬方が日暮れ前に麓におりなければならなかったともいわれます。
水も馬も分かれる場所が合清水だったんですね。
小屋の名物は冷やしそうめんとあん餅。
ご飯やお汁、山菜のおひたし、そうめんのあんかけ、麩の入ったひじきの煮物、青昆布やフキの煮物が出されたそうです。