2011年07月20日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜三合目

15.神子石小屋9-4.jpg

大満を越えると、月山三合目の神子石(みこいし)です。

ここには神子石神社と神子石小屋が掛けられていました。
上の写真に写るのは、昭和初期の神子石小屋です。
この小屋はそれまで50年あまりのお休みを経て
大正11・12年頃から昭和25年まで、30年弱のあいだ掛けられていました。

最後の小屋掛けをしていたのが、羽黒町手向の小林吉五郎さん。

16.神子石神社9-5.jpg

この写真は大正期の貴重な写真で、小林さんのご家族が映っています。
正面に座っているのが吉五郎さんの父吉治郎さん。
左が次男吉蔵さん、右側は飽海から来た親類の小屋若勢で、専属の強力さんでした。

そして、後ろの紙垂(しで)のある場所に石の祠があり
この石こそ、小屋名の由来となった石、神子石でした。

二合目の大満は、聖俗を分ける境界。そこから先は女人禁制の地でした。
その昔、ある巫女が結界を破って大満を越えたとたん、たちまち石になってしまい
これを巫女石、神子石と呼ぶようになった。これが由来の一つ。

別には、開山能除太子が月山を登る道すがら、魔性の女人あらわれ妨げようとしたが
太子が加持によって降伏した。これにより皇子石という、とも。
祠石の奥には神子石神社があります。

小屋には多いときで150人もの道者が宿泊。
その多くは宿坊からもってきたお握りを食べ、小屋で汁を求めました。

汁には、近くの沢で取れるフキやアオミズがふんだんに使われ
夏の盛りでもチチタケ、ワケ、トビタケなどのキノコも採れたため調理して出していたとか。
二合目から上はブナ林が多くなるのですが、ブナ林ならではの料理だったんですね。

二合目は団扇餅でしたが、三合目名物は味噌餅。
この頃は味噌も豆腐も小屋の自家製でした。


posted by hagurokanko at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 出羽三山
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