2011年07月13日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜二合目

大満小屋.jpg

海道坂からしばらく月山公園線(月山高原ライン)を進むと、左手に大満というバス停があります。
ここが月山二合目の大満(だいまん)。

写真の奥にみえるのが大満小屋、左に見えるのは小月山(おづきやま)神社です。小屋を掛けていたのは、手向のトサクド(戸作殿という屋号)、岡部さん。
少なくとも明治以前から小屋を掛けていたといいます。

写真をみてお分かりになるでしょうか?
他の小屋と異なり、ここは製材をつかった木造小屋。しかも常設されていました。
夏の道者と秋の峰中(秋の峰と呼ばれる修行のこと)のほか
春のさか迎えのときにも泊まり小屋として使われていたのです。

大満は、「月山の一の木戸」」と呼ばれ、
俗世界と聖なる世界との境界という意味をもった場所でした。

それをあらわしていたのが、昭和三十二年まであった入り口の鳥居。
ここから湯殿山の仙人沢までは「女人禁制」となっていました。

周囲の自然をみても、月山の麓から大満までは杉林が多いのに、ここから先はブナ林が多くなります。
ブナ林ではアオミズやフキ、キノコが採れました。ブナを使ってさかんに炭焼きも行われたそうです。

ここの名物は、うちわの形をしたうちわ餅。
つきたての餅を直径五センチほどの丸い形に伸ばして串に刺し、砂糖入りの味噌をつけて焼いたものです。この形のほか、涼しい気分で食べるためについた名前なんだそう。

さて、大満の名前の由来を紐解けば。

小月山神社の場所には神仏分離になる明治以前、虚空蔵堂(こくぞうどう)があり、
大満虚空蔵菩薩(だいまんこくぞうぼさつ)がまつられていました。
大いに満つる虚空蔵さまということで、智慧や福徳を限りなく持ち合わせている菩薩がまつられていたのです。
名前の由来はここから来ているんですね。

その時代は、月山神社の本殿に十三仏がまつられ、虚空蔵菩薩は十三仏の中でも最高位におかれていました。
最高位におかれた菩薩なのに、頂上近くではなく二合目にまつられているのは、
立谷沢にある虚空蔵岳にちなんでまつられたのではといわれています。


より大きな地図で 羽黒町観光協会マップ を表示


昭和三十三年からは、山小屋ではなく、茶屋として経営が続きました。
月山神社本宮が平成六年に建て替えされ、それまで茅葺屋根だった小月山神社は
平成七年に月山本宮の古い社が移築されました。最近まで茅葺屋根だったんですね。

翌年、大満の上にバス停ができることになりました。
鳥居はその年の秋に取り外され、何百年続いた大満小屋は廃業に。
小屋跡は今バス停になっています。


続きまして、三合目に向かいます(成瀬)
posted by hagurokanko at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 出羽三山
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