2011年06月02日

再び月山・新八方八口プロジェクト

去る5月27日、同実行委員会事務局会議が開かれ出席してまいりました。

今回の会議では、それぞれの登拝口が、
その土地ならではの旅のプランを作成し、意見を交換しました。
それはぜひ登ってみたい!という、粒ぞろいの旅が姿を現してきました。

そこで誰いうともなく共有されていたのは、
「歩くこと」をもう一度考えてみよう、という思いだった気がします。

もちろん、この会議がめざしているのは
八つの登山口に車道をひいてラクに登山しよう!
ではありませんから、歩きに重きを置くのは、当然といえば当然です。

しかしそれは、「じっくり旅をしよう」というメッセージでもあるはず。

つまり、ピンポイントに観光地を巡回するのではなく、
歩くことで五感に働きかけてくる自然と、対話をしながら時間を過ごそうという提案です。

ところで近年、羽黒山の石段参詣道を登る若い女性の方が増えています。
頂上まで車でも行けるのに、2446段の石段を一歩一歩登っていかれるのです。
初めての方には大変なはず...でも登るのは、大変さをこえた理由があるからです。

現在、月山八合目まで車道が敷かれたお陰で
弥陀ヶ原湿原を短時間で楽しむ旅が人気です。そうした旅も大切です。

しかし、こうしたプロジェクトが立ち上がってくる背景には
また別の旅の魅力を、地域の方々が感じているからに違いありません。
その魅力を感じてもらうためには、きっと「じっくり歩く」しか方法がないんです。

見えなくなったものを見るためには
スローにするか、視点を変えるか、どちらかなのですから。

月山は、生きとし生ける数多のいのちが生まれ、育まれる山であり
肉体を離れた魂がやがて集う山でもあります。

六根清浄を唱え登拝した、かつての行者さんたちは
月山といういのちの循環のなかを歩くことが、
自分の心身を清らかにしてゆく、と考えていたようです。

それは、山で自然の息吹を感じ、清々しさを覚えることと
本質的には同じことだと思います。

現代の「ツアー」の底の方にも、巡礼の旅の記憶が流れ続けている。
昨今のパワースポットブームは、その事実をあらためて示しているように思えます。

土地と人の結びつきの原点であったり、祈られた場所の記憶であったり
神仏や精霊の声に耳を傾ける旅のありかたを。

それが巡礼という旅のかたちなのかもしれません。


そんな思いに至った会議でしたが、
羽黒町観光協会は二つのプランをつくりました。

一つは、月山本宮でお盆の夜にひらかれる、月山柴燈祭を旅するプラン。
もう一つは、月山六合目から旧参道を登り、月山九合目に宿泊するプラン。

どちらも、ここでしか体験できない旅になりそうです。
どうぞお楽しみに!

(成瀬)
posted by hagurokanko at 17:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 出羽三山
この記事へのコメント
先日、この前の記事に「ジオキャッシングを活用した観光振興策」を提案させていただいたものです。

提案はご覧になって頂けていると思いますが感想だけでもお聞かせ頂けないでしょうか。

当方、ジオキャッシングの利害関係者でもありませんし、そもそもジオキャッシングは営利企業でもありません。

宜しくお願いいたします。
Posted by 西川町出身者 at 2011年06月08日 19:03
はい、月山・新八方八口プロジェクト実行委員会事務局に検討をお願いしております!

リンク先URLも拝見いたしました。

以下個人的な感想になりますが
興味深い試みと感じました。

ただ出羽三山へいらっしゃる多くの方は
人為的に仕掛けられた宝よりも
その向こうに広がる大自然の無為な息吹に触れるため
お越しになっているのではないかと思います。

もちろん人それぞれの目的で登山されるわけですが
GPSの画面を見て宝探しをするよりも
風のそよぎや草花の表情を感じることが
私にとっては月山に来た意味を感じます。

ジオキャッシングの楽しさは理解しつつも
それが合う場所と合わない場所があるのではないかな
というのが私の感想になります。

以上よろしくお願いいたします。
Posted by naru at 2011年06月09日 08:48
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/45678748

この記事へのトラックバック