2010年07月15日

花祭りにいってきました

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7月15日、羽黒山頂で花祭がひらかれました。

天気が心配でしたが、
・・・案の定、スコールのような大雨に降られましたが
ふしぎと例年、御輿が繰り出す頃には、やむんですよねぇ。

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この暗い写真は前日14日、夕暮れ時のもの。

こうして羽黒山麓の門前町・手向の軒先には
写真のような注連縄(しめなわ)が張られます。

宿坊街の端から端まで、これが連なってるのを見ると
あたりに厳かな雰囲気が満ちていくのを感じます。
その中に、活気あるお祭りのムードもしずかに脈打ってるんですよね。

さて一夜明け、花祭当日。
朝から羽黒山山頂に地域の芸能集団が集ってきます。

祭に奉納されたのは、櫛引町の黒川能や



羽黒町の高寺八講など。



さて同じ頃、三神合祭殿の前では
御輿(みこし)の準備が進んでいるはず・・・。

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いらっしゃいました。
地元手向(とうげ)の若者たちが、松例祭と同様、この祭の担い手です。

彼らの手で担がれる三つの御輿は三基。
この三は、もちろん出羽三山の三。
それぞれの御輿が三山の一つとされてるんですね。

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三山の神霊がそれぞれ三つの御輿に移される・・・
そう、つまりこの花の御輿は神霊が降りてくる依代(よりしろ)なのです。

そこで、御輿に飾られたいくつもの造花は
「田に置くと豊作がもたらされる」、とか
「家の入り口に吊るすと悪霊に対するお守りになる」、と考えられました。

だからこそ、祭には遠く関東からも足を伸ばす方多く
御輿が鏡池をねりあるくときクライマックス、人々は御輿の造花をわれさきにと奪い合います。

山頂はあたかもカオスの様を呈し、さまざまな紙面を飾るのはこのときの写真です。

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今日、花祭は、こうした豊作祈願のお祭りとされているのですが
時代を遡ってみれば、「夏の峰」の主要な祭礼でした。

「夏の峰」とは何か。
羽黒修験道に存在した、春の峰から冬の峰まである
四季の儀礼期間の一つです。

その期間とは、四月三日の月山山開きに始まり、八月八日の御戸閉めまで。

つまり、長い夏峰中の大きな高揚点が、花祭だったわけです。

さて、夏峰で行われていたことは何か。
実に、山の花を摘み、供えることでした。

月山権現に花を供えることが、夏峰の中核をなす儀式でして
夏峰は別名、花供の峰(はなくのみね)と呼ばれていたのです。

そのクライマックスとして、月山では
採燈護摩(さいとうごま)―つまり盆の灯をともして
祀られない死者のための施餓鬼(せがき)―が行われていました。

つまり死者供養が行われてたのですね。

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死の穢れを嫌う神社で、こうした儀礼が行われることは
考えてみると、実に驚くべきことです。

これは、仏教的な施餓鬼や神道的な死の忌避という考え方の底に、
もっと根源的なものがあったことを示しているのでしょう。

おそらくそれは、死者の霊は山へ行く、という山岳信仰なのではないでしょうか。
とても古い信仰が、修験道の中に生き続けていたことを
花供の峰=夏峰は伝えていると思います。

明治の神仏分離以降、春の峰と夏の峰の伝統は途絶え
今日残っているのは秋の峰と冬の峰のみとなりました。

花祭から夏峰の死の要素が消え、豊作祈願となったのも明治時代。
同時にこの祭から死霊の休息する山・月山の影も見えなくなりました。

けれど、豊かな実りをもたらす力がどこからやってくるかを考えるとき
そこから流れ出す豊富な水とともに、先祖と死霊の眠るこの山が
黄金なす田の背後に屹然と浮かび上がってくるような気がします。

今の花祭があるからこそイメージされる、羽黒修験の深い世界観。
そんなことを感じた今年の花祭でした。




posted by hagurokanko at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 山伏・修験道
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