2010年03月10日

羽黒山と観音巡礼

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山形県は最上、置賜、庄内と三十三観音霊場が三つあり
あわせて出羽百観音のある珍しい土地です。

中でも庄内三十三観音は、今年開創300年を迎え
ご開帳のある年。

そこで今回は、羽黒山と観音巡礼についてご紹介したいと思います。

羽黒山と観音さま、といって
まず最初に思い浮かぶのが、開山伝承。

今日は開祖蜂子皇子と観音さまのお話です。

羽黒山・月山・湯殿山を開いたのは、
東北・関東・甲信越の三十三カ国を司る
羽黒山伏の開祖・蜂子皇子(はちこのおうじ)です。

父は、第三十二代崇峻天皇。
従兄弟にかの厩戸皇子(後の聖徳太子)がいます。

しばし開山伝承を紐解いてみましょう。

伝承によれば、皇子32歳のとき、人生に急旋回を告げる事件が起こりました。
父崇峻天皇が蘇我馬子の手によって暗殺され
皇子は大和から丹後の由良へ発ち、日本海へと遁れることとなったのです。

北へ北へ、皇子は日本海を敦賀、佐渡と北上し、
たどり着いたのがここ庄内の由良浜。
現在も、由良は新鮮な魚介類のとれる豊かな漁港として知られています。

さて長い航海の果てに現れたのは、洞窟を抱えた巨きな奇岩。
波打ちに舞う八人の乙女が皇子を招き、ようやく旅の帆は畳まれました。

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当時、庄内平野は大きな湖を形成していたと見られています。
数多くの出土品がこれを裏付けるほか、
庄内にある藤島、京島、渡前などの地名はその名残なのでしょう。

皇子は再び舟を走らせました。
このとき、天空から皇子を導く大烏がいたといわれています。

山添という地に着岸すると、八咫烏(ヤタとは大きなの意)に導かれるまま
皇子はやがて羽黒山にたどり着きました。
そして深山幽谷に籠もって、修行が始められたのです。

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羽黒山の奥深くに、阿久谷という秘所があります。
皇子はここに坐し、来る日も来る日も
般若心経を誦し続け、羽黒権現を感得されました。

そして心経を念じ安置する仏像を彫刻されたのが
観音菩薩だったのです。

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翻ってみると、そもそも般若経は
「観自在菩薩はこう言われました」で始まりますし、
蜂子皇子は能除仙(能除太子)ともいわれ
その御名も同じ心経の「能除一切苦…」に由来しています。

ここに羽黒権現が観音さまであること
(権現とは仏が神さまの姿となって現れることをいいます)
羽黒山と観音さまのつながりが始まったのでした。


つづく

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開祖蜂子皇子が偲ばれる場所もご紹介いたします。

羽黒山を詣でた方はよくご存知かもしれません。
山頂の三神合祭殿から数百メートル離れたところに建つ
皇子のお墓です。
明らかにここは周囲と異なる空気が感じられ、宮内庁の地となっています。

また、合祭殿の左には蜂子の命社という古風な社があります。
ここは蜂子皇子が初めて出羽三山を開いた人として祀られており
開山堂ともいわれています。

さらには、山頂より月山道をしばらく行った処にある吹越(ふきこし)神社には行者の姿をした皇子の像が安置されています。

しかしこれは羽黒修験道の修行・秋の峰入りをしたものしか
知ることはありません。

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posted by hagurokanko at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 出羽三山
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