いでは文化記念館は、山伏/修験道関連の書籍が並ぶ
知る人ぞ知る書店(?)でもあります

今回、荒蝦夷さんより新刊が二冊入荷しましたのでご紹介

今年は、民俗学の創始者・柳田國男の『遠野物語』から百年なんですね。
これを機に多数の関係本が出版されているようです。
そんな中、羽黒町観光協会のオススメはコチラ

赤坂憲雄著『増補版 遠野/物語考』
『増補版』では、新たに序章や書き下ろしが追補。
旧版は入手不可(か古本で高額取引

ぜひこの機会にお求めになられてはいかがでしょうか

もう一冊は
野添憲治著『聞き書き 知られざる東北の技』
こちらは、「半世紀以上にわたり聞き書きを続けてきた
野添氏による、貴重な東北の技の記録」。
ところで、聞き書きって面白いんですよ

私的な経験なのですが、たいへんユニークなので
これまたちょっとご紹介

いわゆる「取材」と比較すると、よく分かります

聞き書きは、語り手の(多くじじちゃんやばばちゃんの)言葉を
聞いた人がそのまま文章にするものです。
料理に例えれば、ほとんど生モノに近いメニューですね

取材は、聞いた話を「材(料)」として「取る」、
なので取った材を、つくりたいメニューに応じて
茹でたり、焼いたり、煮込んだりした料理、といえるでしょうか

違いは、意のままに調理できるかどうか

聞き書きは、煮たり焼いたりできない、
つまり、聞いた内容を書き手に都合よく作文できないのです

すると力が注がれるのは、美味しい料理をつくるために
どうやって素材自体の滋味を活かすか?になります

これって…考えてみると、わざわざ難しいことをやってる気がしてきます

でもその理由を探ると…、
きっと「対話」するためなんだと思うのです

誰かの人生を聞く機会って、いま滅多にないですよね。
それだけに、目の前で語られた言葉は、
聞き手に強烈な印象を残していきます

録音した語り手の声を、何度も何度も聞きながら
言葉にあらわれなかった部分まで、聞き手は思いをめぐらせます。
そこに対話が始まります。これがきっと、とても大事なことなんですね

野添さんは、”聞き書きは最終的に
語り手の人生をともに辿り直すことになる”、と仰ってます。
語り手の声が、私を通して文字になったとき。
その土地に、息をひそめて眠っていた記憶が
呼び起こされる、といえるかもしれません。
語り手の体を通して語られるのは、
もはや私でも、あなたでもない、
その土地の声なのではないでしょうか。
この声を呼び覚ます装置が、聞き書きなのだと思います。
何だか、書き手が琵琶法師に思えてきます。
この魅力的な活動、各地で行われているようです。
東北の「声」を知る一冊、オススメです

