2010年01月16日

雪の降る街を



内田喜直(1923〜2000年)という作曲家をご存知でしょうか。

人物を知らなくても、その歌はきっと口ずさんだことがあるはず。

「めだかの学校」、「小さい秋みつけた」、「夏の思い出」。
数々の名曲を生み出したこの作曲家による「雪の降る街を」は
鶴岡の雪景色から生まれたといわれています(*)。

羽黒ではないですけど、今日はこの話をご紹介します。


中田喜直は大正12年、東京の音楽一家に生まれました。
兄一次からピアノの手ほどきを受け、はや10歳で作曲をするようにカラオケ
その後(ずいぶん端折りますけど)東京音楽学校のピアノ科を卒業した中田は、新進気鋭の作曲家・ピアニストとして活躍しますグッド(上向き矢印)

初めて鶴岡の地を踏んだのは、戦後間もない昭和21年のこと。
中田はこの町で、その後も長く続く親交を結ぶ男と出会いますひらめき

その男の名は、菅原喜兵衛。
名曲「雪の降る街を」に広がる景色は、
中田が菅原の巧みにあやつるソリから見た、鶴岡の雪だったのです。

菅原は鶴岡の斎村に在住し、地元で活動するアマチュア音楽家でした。
昭和20年の夏、姉が疎開先していた斎村を訪ねた声楽家、村田節子に出会います。

縁とは実に不思議なもので、村田と中田喜直は、なんと東京音楽学校の同窓生exclamation×2

村田を通じてであった菅原に中田はすぐさま意気投合し
良質の音楽を青少年が触れられるように、さまざまな音楽教室を開いていきました。
その後も幾度となく中田は鶴岡を訪れます。

そして昭和27年、庄内地方に大雪が積もった3月のことでした。
鶴岡駅に降り立った村田とピアニストの妹、
そして中田を出迎えたのが、ソリをおす菅原でした。

目の前に広がるのは一面の銀世界雪
そこに生まれたのが、冒頭の「雪の降る街を」だったのです(*)。

透き通る賠償千恵子の声もいいですが
こちらも雰囲気あっておすすめです。

posted by hagurokanko at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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