2009年11月26日

三浦恒祺洋画展

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松ヶ岡ギャラリーまつで三浦恒祺洋画展が開かれています。

庄内の人から、親しみを込めて「三浦先生」と呼ばれる
三浦恒祺(つねき)さんは、鶴岡市在住の洋画家です。


傘寿(さんじゅ=80歳!)を記念した個展に行ってきました。


向かった先は、羽黒町の松ヶ岡にある”ギャラリーまつ”

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ここは、明治の初め3000人の旧庄内藩士がひらいた開墾地
今は庄内柿で有名ですが、かつては一帯が桑園でした。


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”ギャラリーまつ”も、かつての養蚕室。
この大きな建物だと、どれだけのお蚕さんがいたんでしょうね。


今回の展示の一つが、羽黒町や朝日町の茅葺き民家を描いた連作です。

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平成7年から描きはじめられた、古風堂々として優美な民家たちは
ほとんどが江戸時代の創建、貴重な伝統建物でした。
周囲と見事に調和した佇まいに虜になってしまった三浦先生


解体されないうちにと連日通いつめ、
それぞれの家がもつ個性や表情が感じられるようになるまで
一日に一枚という驚異的なペースで作品は生みだされました。

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しかし、後世に残してほしいとの願い叶わず
描き始めてから15年の間におおくの茅葺き民家は姿を消しました。


ついこの間まで、この豪雪地帯に数百年建ちつづけた民家が
50棟以上あったことに、まず驚かずにはいられません。
でも考えてみれば、以前地域のほとんどの家がこうした家だったのでしょう。


この大きくて古い「家」は、おそらくこの地方の家族構成や社会構成
それだけでなく「イエ」や「先祖」や「時間」等の概念をもかたちづくったに違いありません。


座敷童子は岩手県ですが、やはり東北だからこそ生まれたような気がします。


経済的にも、社会的にも、時代に合わなくなった古家の解体は
「家」にかかわる文化の変容と同意でした。


三浦先生が出会った古民家たちは
その最後の遺風だったのかもしれません。


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しかし経済成長を経たこれからは、きっと家族や地域社会が
大事なものになって来るでしょう。

そのとき、精霊までが宿るとされた家は
ふたたび重要な遺産となっていくと思います。

それまで、茅葺きの姿を伝えるものが
油絵だけでないことを願っています。


ギャラリーでは、広島での被爆体験から生みだされた連作
「原爆の形象」や、月山をモチーフにした作品を観ることができます。

期間は、29日まで。ぜひご覧下さい。


posted by hagurokanko at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント
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