松ヶ岡ギャラリーまつで三浦恒祺洋画展が開かれています。
庄内の人から、親しみを込めて「三浦先生」と呼ばれる
三浦恒祺(つねき)さんは、鶴岡市在住の洋画家です。
傘寿(さんじゅ=80歳!)を記念した個展に行ってきました。
向かった先は、羽黒町の松ヶ岡にある”ギャラリーまつ”
ここは、明治の初め3000人の旧庄内藩士がひらいた開墾地
今は庄内柿で有名ですが、かつては一帯が桑園でした。
”ギャラリーまつ”も、かつての養蚕室。
この大きな建物だと、どれだけのお蚕さんがいたんでしょうね。
今回の展示の一つが、羽黒町や朝日町の茅葺き民家を描いた連作です。
平成7年から描きはじめられた、古風堂々として優美な民家たちは
ほとんどが江戸時代の創建、貴重な伝統建物でした。
周囲と見事に調和した佇まいに虜になってしまった三浦先生
解体されないうちにと連日通いつめ、
それぞれの家がもつ個性や表情が感じられるようになるまで
一日に一枚という驚異的なペースで作品は生みだされました。
しかし、後世に残してほしいとの願い叶わず
描き始めてから15年の間におおくの茅葺き民家は姿を消しました。
ついこの間まで、この豪雪地帯に数百年建ちつづけた民家が
50棟以上あったことに、まず驚かずにはいられません。
でも考えてみれば、以前地域のほとんどの家がこうした家だったのでしょう。
この大きくて古い「家」は、おそらくこの地方の家族構成や社会構成
それだけでなく「イエ」や「先祖」や「時間」等の概念をもかたちづくったに違いありません。
座敷童子は岩手県ですが、やはり東北だからこそ生まれたような気がします。
経済的にも、社会的にも、時代に合わなくなった古家の解体は
「家」にかかわる文化の変容と同意でした。
三浦先生が出会った古民家たちは
その最後の遺風だったのかもしれません。
しかし経済成長を経たこれからは、きっと家族や地域社会が
大事なものになって来るでしょう。
そのとき、精霊までが宿るとされた家は
ふたたび重要な遺産となっていくと思います。
それまで、茅葺きの姿を伝えるものが
油絵だけでないことを願っています。
ギャラリーでは、広島での被爆体験から生みだされた連作
「原爆の形象」や、月山をモチーフにした作品を観ることができます。
期間は、29日まで。ぜひご覧下さい。