2009年11月09日

いにしえの羽黒山を辿るU その3

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いにしえの羽黒山を辿るU その3のレポートです。

前回、破尺堂から吹越を巡った歴史探訪の旅は
荒澤寺へと向かいます。

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秋の色彩が綾をなしてきれいですね。

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苔むした参道が落ち葉を縫って一行を導きます。

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途中にはアップダウンのある場所も。
写真に見えるのは、おそらく元児坂(もとちござか)。
奥州出身の稚児、藤松丸に由来する坂です。

藤崎丸は幼年より羽黒山夏一(げいち)阿闍利(あじゃり)に仕え
仏に身をゆだねていたといいます。
しかし容貌がきわめて美麗だったため
山中の僧等が奪い合った末に命を落とすこととなり
頭は皇野(すべの)に、そして骸が納められた場所が
児堂となりました。元児坂は児堂の跡地なのです。


道行けば、しばらくして荒澤寺が見えてきました。

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境を示すように門前を流れるのが、影見川(かげみがわ)。

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文字通り、その名の由来は自分の影を見ることから。

石橋の上から水面をのぞき、自分の姿が映るようであれば
六根清浄のひとつであるから極楽往生うたがいなく
影が映らなければ罪障深重であるからこの流れで垢離をかき
身を清めなければならない、と。

垢離をとることなく渡った皆さんでしたw

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いよいよ荒澤寺です。

荒澤寺とは、聖之院・北之院・経堂院の総号で
羽黒山の奥の院として常火堂を管理していた所です。

山中でも特別な扱いを受けていて
女性の参詣が許されなかった場所なんですね。

明治10年女人禁制がとかれるまでは
この他にも女性が通れない参詣道があったのです。

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ほどなく左に見えるのが地蔵堂。
さて、なぜお堂の後ろで解説されているのでしょう?

十八世紀の資料にはこうあります。
入峰のとき堂の後ろより拝するのは
男子は母の胎内に宿るとき内に向かって左にあるからという。
母の胎内すなわち堂であり、男子はすなわち地蔵尊である、と。
内に向かって左=堂の後ろ側ということなんですね。

この地蔵尊とかかわりがあるのが臂切不動明王です。

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『羽黒山縁起』には次のようにあります。
開祖能除太子が月山を開き大日如来を拝した後に
その身から出た炎が太子に燃えつき、太子の三毒を消滅させると
天に昇り、宝珠となったという。
太子は宝珠を携え衆生のために荒澤に納め、
不動尊と地蔵尊を本尊とした。これが今の常火である。

常火がすぐに消えてしまうのを見た地蔵尊は自らの額から
火を出し、不動尊は自らの臂(ひじ)を切って法火とした。
それ以後火は絶えることなく燃え続けている、と。

写真がその常火堂です。
かつては峰入りの火は全てここから持っていきました。
また集落の人が亡くなれば、その家の火はけがれたものと考え
新しい火をもっていったのも、ここからだったといいます。


女性が禁制とされたのは
こうした火の浄性を守るためだったといわれています。


続く。










posted by hagurokanko at 18:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 山伏・修験道
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