いにしえの羽黒山を辿るUレポートその2です。
破尺堂のあるスキー場から山頂駐車場に向かい
その入口から月山旧参道を下り、吹越を目指します。
これは、道中にある八乙女遥拝所。
八乙女とは、八人の乙女のこと。
出羽三山を開いた蜂子皇子が
八人の乙女に羽黒山の神意を告げられたのが
いまの鶴岡市の港、由良の浦で
修行者はここで遥拝するのですね。
由良は今も豊かな漁場です。
さらに旧参道を進むと
分岐点に出ます。
ここは羽黒山中腹の南谷と、秋の峰入りで籠る吹越
そして女人道を分ける場所。
さらに進むとまた道が分かれます。
ここは、笈掛松(おいかけまつ)といわれる場所。
峰入修行の時、母胎の象徴である笈を
この根元に下ろし、勤行を行うのです。
これを境に、未入峰者(素人=しら)が行く左の道と
入峰者が行く右の道に別れます。
素人の行くことができない場所があるのです。
でもこの木、松ではないんですよね。
なぜ笈掛松というのでしょうか…。
右の道が至るのが、吹越(ふきこし)です。
右手に見えるのは吹越開山堂、現在の吹越神社です。
元和八年(1622)、宥俊という別当が造立したもので
開山能除太子堂とも。
本尊は能除太子(蜂子皇子)・役行者・不動明王。
明治の神仏分離時、南谷・吹越開山堂・荒澤寺・五重塔・正善院は
寺院として残すことを求められましたが、残ったのは山外にあった正善院のみでした。
手前にあるのが吹越籠堂。
秋峰で行者が籠るお堂です。
籠ることは、とても重要な意味をもっていました。
日本にある古来の生命観の根っこには
中がうつろの容れ物に、外からある威力がやってきて宿り育っていくという考えが見られます。
たとえば瓜やひょうたんのように、実がだんだん膨らんでいくことを
古代人は、その中であるものが育っている、と考え
そのあるものを、たま(魂)と呼んだのでした。
桃太郎の桃、瓜子姫の瓜なども、この考えが現れたものなのでしょう。
つまり籠堂は、修験者にたま(魂)が宿る殻だと考えられます。
いやむしろ、山中全体がそうなのでしょう。
羽黒修験道が古の記憶を残すといわれる
重要な点の一つはここにあるのですね。
一行は、秋峰の行者が通る道を抜け、荒澤寺を目指します。
続く。