2011年12月05日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜六合目

23.平清水小屋-1.jpg

月山は標高1,984m。ちょうど中腹の標高1,000mに
月山六合目平清水小屋がありました。

五合目強清水、六合目平清水、七合目合清水(ごうしみず)。
「清水」のつくこれらの小屋名は、きれいな湧き水があることに由来しています。

平清水は、月山一美味しい湧き水に恵まれていたそうです。

小屋の西側にその湧き水はありました。きれいで美味しいことで知られ、昭和30年代の山開きの頃、保健所の人が飲料水を調べにきた際、平清水の湧き水は軟水で一番水質がよかったそうです。
この水を手桶に入れて小屋の入り口に置くと、道者はひしゃくで喉を潤し、お盆に志をおいていったそう。

小屋の名物は、この水を使った冷やしそうめん。
煮出しに鰹節は使えず、しょうがと醤油を少したらして食べたそうです。小屋の雰囲気ときれいな空気は、そうめんを特別なものにしました。麓と違ってぬま小屋でなければ出ない味だったそうです。夏のカラカラに乾いた喉を通る冷や冷やの水とそうめん...さぞ美味しかったことでしょう!

ぬま小屋から山頂を目指す参道の登り口には津長井神社と庚申碑がありました。
祀られていた津長井の神も、強清水の生井の神、七合目の榮井の神と同じく井戸の神様です。
庚申碑には御神鏡のほかに「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の石像があり、の神とされた猿田彦尊ともいわれていました。今も旧道に現存する三猿に手を合わせる方はいます。


平清水はまた「馬返し」の別名がありました。
一つ上の七合目合清水小屋は「馬止め、駒止め」と呼ばれ、馬でいける行程の最後。
日が長くなる旧盆を過ぎると、終着が合清水から平清水に変更されたため「馬返し」と呼ばれたそうです。

26.昭和三十四年、平清水小屋36-2.jpg

平清水小屋は、戦前から羽黒町手向の農家清水喜代太郎さんが営んでいました。
太平洋戦争中も営業を続けたのはここだけだったそうです。

東北の山小屋は、一年のほとんどが雪で閉ざされています。
かつて月山の山開きは7月15日。小屋の営業は正味一ヶ月の間でした。

七月半ばの花祭りを迎えると、少しづつ道者は少しづつ登ってきました。
出羽三山を登拝する県内外の道者たちは泊まる小屋が決まっており、平清水に泊まる道者は新潟の人が多かったそうです。
盆山といって、旧盆には一晩に百二十人も泊まりました。それが二日、三日続けば大忙しです。
しかし利用者が多い時代は、これで一年暮らすことができたといいます。

経営は容易ではありませんでした。

ぬま小屋は衣食住に必要な物資の調達しなければなりません。
一番の出費は、物資を運び上げる強力や小屋を組み立てる人たちへの支払いでした。
小屋のの支柱となる原木は裏山から伐採され、生活に必要な木は、参道の両側三十間(ここは出羽三山神社境内)に限り許可されていたため、ここから調達されました。小屋を建てるのは4〜5人の人に依頼しても10日以上かかったそうです。

短い夏が終わると、小屋の下に掘ってあった1m×1mの穴に鍋釜、食器、ぬまを取り込み、来年を待ちました。
posted by hagurokanko at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 出羽三山