2011年12月04日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜五合目

19.狩篭17-9.jpg

月山五合目には昭和36年まで狩籠小屋が掛けられていました。

小屋の周辺には大木や池や石があり、様々な歴史に彩られています。

小屋は大きな杉の下にありました。
この杉はその異様な形からご神木とも、これより上に杉がないことから限界杉ともよばれました。
その昔、月山登拝注になくなった道者や行者はこの大杉の裏に埋葬されたといいます。

根元には新山神社があり、その手前には蛇枕石と呼ばれる平な石がありました(今も残っています)。
18世紀はじめの文書である『三山雅集』によると、かつては鉾立新山大権現が守護したところだそうですね。

小屋の東側には龍神さまが住むという神秘の龍ヶ池(狩籠池、新山池とも)とよばれる崖があり、ここから滴り落ちる水を水樽に入れて運び、小屋の飲み水としたそうです。この場所からは庄内平野に浮かぶ鳥海山が展望できました。

西側には広大なブナ林があり、夏にはワケ(ヒラタケのこと。春はウグイスタケともいう)が採れ、汁に入れて道者に出されました。
小屋名物は赤飯ときのこ汁。小屋の近くで採れる青物のある場所は「小屋の畑」と呼ばれ大切にされたそうです。

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古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜四合目

18.強清水小屋9-3.jpg

四合目には強清水小屋がありました。

二合目の大満から先は木立三里と呼ばれるほど、参道回りがうっそうとしたブナ林になります。

夏には蒸し暑さが充満するような大満原、ブナに覆われた神子石から強清水へ続く道。
強清水はこの道程にあって、月山一冷たい湧き水(地元ではデミズという)のある小屋として有名でした。
道者はここで乾いた喉を潤し、一息ついたんですね。

五合目の狩籠までいけば、尾根に通じる参道は潅木になり視界が開けてきます。
まだ夜が明けきらないころ宿坊を出立し、道者たちは涼しいうちに大満から強清水を通りすぎていきました。

小屋の向かいの山肌のくぼみには、生井神(いくいのかみ=井戸水の神様)が祀られていました。

冒頭の写真はおそらく昭和20年代の強清水小屋。
大正時代から小屋を営んだのは、羽黒町手向の富樫友太郎さんという方ですが
戦前には、手向で鍛冶屋を営んでいた生田鉄太郎さんが小屋掛けの権利を譲り受けたそうです。

強清水小屋は、冷たい湧き水に恵まれ、周りのブナ林でお汁に入れる青物が豊富に採れました。
とても恵まれた条件の小屋でしたが、戦後バス道路が延びるにつれ、道者は強清水で休む必要がなくなり、小屋も廃業せざるをえなかったと思われます。

ここの名物は冷たい湧き水を使った冷やしそうめんでした。

平成16年八月いでは文化記念館の企画で小屋跡が整備、清掃されて小屋の礎石や祠があらわになりました。
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