2011年12月14日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜月山頂上

古い写真を手に取ると、数十年前の景色が別世界のように感じられますが
月山山頂はじつに清々しく、いつ登っても別世界を感じます。

さて、古写真で辿る月山山頂にはどのような景色が広がっていたのでしょうか。

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2011年12月09日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜九合目

39.仏生池小屋26-1.jpg

月山九合目、仏生池小屋。
写真は戦前の頃のもの。もちろんぬま小屋ではありませんが、小屋は今も経営されているます。

”仏水池”の由来を尋ねてみると、江戸時代の文書の佛水池のくだりには”釈尊の生まれる日に八大竜王が下界の悪習をはらおうと聖なる水を湛えて清めた池=仏生池”と、大意このように書かれています。

また、九合目を営む工藤さんによれば、”仏生池は文字通り「仏の生まれる池」で、道者はここで死に水をのみ、魂となって頂上へ行き、月山神社にお参りして生命をもらい、それから(月山山頂にある)神饌池で産湯をもらって生まれ変わる”のだそう。
池の中にはかつて阿弥陀如来が祀られており、現在、池のほとりに真名井神が祀られています。

小屋の名物は雷豆腐。
聞き慣れない名前ですが、昭和9年より小屋を営んでいた矢島清源さんは、石臼で大豆を挽き、朝夕小屋名物の「雷豆腐」をつくり、赤飯を蒸したそうです。石臼のゴロゴロ...という音が、小屋近くまで来た道者には雷の音に聞こえたから名付けられた名前なんですね。

現在の小屋主・工藤純平さんは、鶴岡市でトレイルというアウトドアショップも営んでおられます。

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2011年12月08日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜八合目

月山八合目、弥陀ヶ原小屋(みだがはらごや)。

今は車で八合目までいく弥陀ヶ原ですが、
かつて一合目から登っていった先に突如として広大な湿地が広がり
高山植物の咲き乱れる様はさぞ感動的だったでしょう。

37.御田原神社と御田ヶ原小屋1-5.jpg

夏には百数十種の花々で埋め尽くされる弥陀ヶ原は、明治以前に祀られていた月読命(つきよみのみこと)とその本地、阿弥陀如来(あみだにょらい)が祀られていました。
それゆえ「弥陀ヶ原」といわれるとも、神様が御田植えをされたことから「御田ヶ原」ともいわれました。
二つの呼称は明治の神仏分離以後も慣例的に使われています。

弥陀ヶ原小屋(写真右)は、現在の月山中の宮御田ヶ原参籠所がある場所に昭和56年まで建っていました。
かつては丑歳を境に手向の二軒の家が交代で小屋掛けをしていたそうです。
昭和25年から阿部貞治さんが掛けはじめ、30年から55年まで瀧水義道さんが小屋を守っていました。

写真中央は御田ヶ原神社で、建物はかつて月山神社の御室で使われていたものだそうです。

写真には映っていませんが、写真の左側には霊祭所があり現在大小いくつもの地蔵さまが祀られています。
これらの地蔵さまは、八合目手前にあった旧賽の河原の裏に頭部を下にして丁寧に埋められていたもので、昭和63年に掘り起こされこちらへ移されたものです。
今から23年前ですから、ついこの間のことですね。

7月に鮮やかな黄色を咲き誇るニッコウキスゲは、ここで酢の物として食べられたそうです。
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2011年12月07日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜七合目

28.合清水小屋全景1-5.jpg

七合目は合清水(ごうしみず)。

江戸時代の文書には「業清水」とも書かれているこの小屋。
名前の由来は二説あり、「人間の業を清水で洗い落とす」とする説と
「登り下りの合い清水」といって、玄海口から月山を越え羽黒山に向かう行程と
手向口から月山に向かう行程が、ちょうど落ち合う場所にあるためという説なのだそう。

五、六合目と同じく井戸の神様が祀られた栄井神社があり
合清水小屋は最上川水系と赤川水系の「分水嶺」に建っていました。

栄井神社の近くには湧き水があり、「ハンド鉢」と呼ばれる自然石に流れていました。
道者はこれを飲み水にしたそうです。そしてあふれた水は風呂桶にためられ風呂水に。
そして便所の清掃に使われた後、玉川へ流れていきました。
玉川は立谷沢に流れ込み、最上川へ合流します。

小屋の裏には大雪渓があり、その雪解け水は小屋のお勝手を経由して合清水沢に流れていきました。
合清水は笹川に流れ込んで、赤川に合流します。

まさに「分水嶺」に建っていたわけですね。

また合清水は「馬止め、駒止め」と呼ばれました。
小屋裏の大雪渓を馬が登れなかったからとも、馬方が日暮れ前に麓におりなければならなかったともいわれます。

水も馬も分かれる場所が合清水だったんですね。

小屋の名物は冷やしそうめんとあん餅。
ご飯やお汁、山菜のおひたし、そうめんのあんかけ、麩の入ったひじきの煮物、青昆布やフキの煮物が出されたそうです。

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2011年12月05日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜六合目

23.平清水小屋-1.jpg

月山は標高1,984m。ちょうど中腹の標高1,000mに
月山六合目平清水小屋がありました。

五合目強清水、六合目平清水、七合目合清水(ごうしみず)。
「清水」のつくこれらの小屋名は、きれいな湧き水があることに由来しています。

平清水は、月山一美味しい湧き水に恵まれていたそうです。

小屋の西側にその湧き水はありました。きれいで美味しいことで知られ、昭和30年代の山開きの頃、保健所の人が飲料水を調べにきた際、平清水の湧き水は軟水で一番水質がよかったそうです。
この水を手桶に入れて小屋の入り口に置くと、道者はひしゃくで喉を潤し、お盆に志をおいていったそう。

小屋の名物は、この水を使った冷やしそうめん。
煮出しに鰹節は使えず、しょうがと醤油を少したらして食べたそうです。小屋の雰囲気ときれいな空気は、そうめんを特別なものにしました。麓と違ってぬま小屋でなければ出ない味だったそうです。夏のカラカラに乾いた喉を通る冷や冷やの水とそうめん...さぞ美味しかったことでしょう!

ぬま小屋から山頂を目指す参道の登り口には津長井神社と庚申碑がありました。
祀られていた津長井の神も、強清水の生井の神、七合目の榮井の神と同じく井戸の神様です。
庚申碑には御神鏡のほかに「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の石像があり、の神とされた猿田彦尊ともいわれていました。今も旧道に現存する三猿に手を合わせる方はいます。


平清水はまた「馬返し」の別名がありました。
一つ上の七合目合清水小屋は「馬止め、駒止め」と呼ばれ、馬でいける行程の最後。
日が長くなる旧盆を過ぎると、終着が合清水から平清水に変更されたため「馬返し」と呼ばれたそうです。

26.昭和三十四年、平清水小屋36-2.jpg

平清水小屋は、戦前から羽黒町手向の農家清水喜代太郎さんが営んでいました。
太平洋戦争中も営業を続けたのはここだけだったそうです。

東北の山小屋は、一年のほとんどが雪で閉ざされています。
かつて月山の山開きは7月15日。小屋の営業は正味一ヶ月の間でした。

七月半ばの花祭りを迎えると、少しづつ道者は少しづつ登ってきました。
出羽三山を登拝する県内外の道者たちは泊まる小屋が決まっており、平清水に泊まる道者は新潟の人が多かったそうです。
盆山といって、旧盆には一晩に百二十人も泊まりました。それが二日、三日続けば大忙しです。
しかし利用者が多い時代は、これで一年暮らすことができたといいます。

経営は容易ではありませんでした。

ぬま小屋は衣食住に必要な物資の調達しなければなりません。
一番の出費は、物資を運び上げる強力や小屋を組み立てる人たちへの支払いでした。
小屋のの支柱となる原木は裏山から伐採され、生活に必要な木は、参道の両側三十間(ここは出羽三山神社境内)に限り許可されていたため、ここから調達されました。小屋を建てるのは4〜5人の人に依頼しても10日以上かかったそうです。

短い夏が終わると、小屋の下に掘ってあった1m×1mの穴に鍋釜、食器、ぬまを取り込み、来年を待ちました。
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2011年12月04日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜五合目

19.狩篭17-9.jpg

月山五合目には昭和36年まで狩籠小屋が掛けられていました。

小屋の周辺には大木や池や石があり、様々な歴史に彩られています。

小屋は大きな杉の下にありました。
この杉はその異様な形からご神木とも、これより上に杉がないことから限界杉ともよばれました。
その昔、月山登拝注になくなった道者や行者はこの大杉の裏に埋葬されたといいます。

根元には新山神社があり、その手前には蛇枕石と呼ばれる平な石がありました(今も残っています)。
18世紀はじめの文書である『三山雅集』によると、かつては鉾立新山大権現が守護したところだそうですね。

小屋の東側には龍神さまが住むという神秘の龍ヶ池(狩籠池、新山池とも)とよばれる崖があり、ここから滴り落ちる水を水樽に入れて運び、小屋の飲み水としたそうです。この場所からは庄内平野に浮かぶ鳥海山が展望できました。

西側には広大なブナ林があり、夏にはワケ(ヒラタケのこと。春はウグイスタケともいう)が採れ、汁に入れて道者に出されました。
小屋名物は赤飯ときのこ汁。小屋の近くで採れる青物のある場所は「小屋の畑」と呼ばれ大切にされたそうです。

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古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜四合目

18.強清水小屋9-3.jpg

四合目には強清水小屋がありました。

二合目の大満から先は木立三里と呼ばれるほど、参道回りがうっそうとしたブナ林になります。

夏には蒸し暑さが充満するような大満原、ブナに覆われた神子石から強清水へ続く道。
強清水はこの道程にあって、月山一冷たい湧き水(地元ではデミズという)のある小屋として有名でした。
道者はここで乾いた喉を潤し、一息ついたんですね。

五合目の狩籠までいけば、尾根に通じる参道は潅木になり視界が開けてきます。
まだ夜が明けきらないころ宿坊を出立し、道者たちは涼しいうちに大満から強清水を通りすぎていきました。

小屋の向かいの山肌のくぼみには、生井神(いくいのかみ=井戸水の神様)が祀られていました。

冒頭の写真はおそらく昭和20年代の強清水小屋。
大正時代から小屋を営んだのは、羽黒町手向の富樫友太郎さんという方ですが
戦前には、手向で鍛冶屋を営んでいた生田鉄太郎さんが小屋掛けの権利を譲り受けたそうです。

強清水小屋は、冷たい湧き水に恵まれ、周りのブナ林でお汁に入れる青物が豊富に採れました。
とても恵まれた条件の小屋でしたが、戦後バス道路が延びるにつれ、道者は強清水で休む必要がなくなり、小屋も廃業せざるをえなかったと思われます。

ここの名物は冷たい湧き水を使った冷やしそうめんでした。

平成16年八月いでは文化記念館の企画で小屋跡が整備、清掃されて小屋の礎石や祠があらわになりました。
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2011年07月20日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜三合目

15.神子石小屋9-4.jpg

大満を越えると、月山三合目の神子石(みこいし)です。

ここには神子石神社と神子石小屋が掛けられていました。
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2011年07月13日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜二合目

大満小屋.jpg

海道坂からしばらく月山公園線(月山高原ライン)を進むと、左手に大満というバス停があります。
ここが月山二合目の大満(だいまん)。

写真の奥にみえるのが大満小屋、左に見えるのは小月山(おづきやま)神社です。続きを読む
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2011年06月12日

古写真でたどる、羽黒山から月山への道〜一合目

先日からご紹介している「古写真で辿る、羽黒山から月山への道」シリーズ。

前回は、羽黒山奥の院・荒澤寺の先にある野口から傘骨(半合目)でした。
今回はいよいよ一合目、海道坂です。

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